パライソ行った思い出

前回のミュについてはこちら↓
https://mimo-seret.hatenablog.com/entry/2021/04/04/130622


11/4 東京凱旋行ってきました
会場が毎月行くメンクリの近くだったから、毎月思い出しそうで嬉しい



まず前回も触れていたペンラについて
今回はステージを囲むような座席配置になっていた(しかもアリーナ三階七列目だった)ので、ペンラで視界に入る情報量が多くて…
頭痛持ちでロビーでしか飲み物飲めないからちょっと辛かった。一緒に盛り上がれたら楽しいのだろうけど、私には合わないなぁ。悲しい


アリーナ三階七列目の席だったから『下々の者が動いてる』と天から見てる気分だった
…と友人に話したらサイコパスみあると言われた



さてはて、パライソ本編。
出陣する刀たちは松井くん浦島くん鶴丸をはじめ、全員好きなのでもう楽しみで楽しみで

実際、インフェルノだの何だの言われていたけど、現場で啜り泣く声が聞こえる中マスクの下でニコニコしてました

重たい話が好きです。みほとせでミュに落ちました
みほとせ信者と自負しているので、パライソの展開最高でした



『我は血が苦手じゃ』『犬を斬ってなれておけばどうじゃ?』の場面で魚が飛び出るシーン
活きが良すぎてキャッチできず、役者さんがアドリブしてました
舞台からジャンプして魚回収。再び舞台へ登る

『お主、身体能力高いのう!』


アドリブと言えば豊前くんと日向の梅干しの場面
豊前「話聞いてたか?はな…鼻付いてる!」の
あと
豊前「俺も作れるか?」と日向くんと梅干し作りの約束してた




ところでキリシタンたちが城を持った時、最後の鶴丸立ち姿が真剣必殺と似ている気がして
鶴丸だって内心ボロボロだもんなぁ。いよいよって場面に入ってきたし…


みほとせが好きなんですよ。(何度でも書く)
みほとせを経てやってきた大倶利伽羅が、可愛くて仕方なかった。(最初から鶴丸のサポートに回って)

その鶴丸と言えばクレイジー鶴丸でめちゃくちゃ好き
私の中で鶴丸国永は宗教法人。鶴丸というキャラクターや刀が好き…なのではなく、鶴丸国永という存在が好き

だから色々な鶴丸見れて嬉しい。ありがとうございます。お布施しなきゃ

【好きなパライソ鶴丸
死んだ四郎を『それはもう入れ物だ』と平気で言っちゃうところ

四郎のロザリオ奪ったときの『いいこと閃いた』と言わんばかりの悪い笑顔

『俺らはまだ、生きていなければならない!』(←曖昧だから微妙に違うかも)と言っていた兄の亡骸すらも利用しちゃうところ

松井に対して『それが嫌なら刀剣男士やめるかい?』と言い、冷え冷えとした空気を意にも介さず『冗談』で締めてしまうとこ

えもさくに『長生きしろよ、えもさくぅ~』の煽るような口調


心覚から続いて現場で拝見してる豊前くん
心覚のときは『パライソで何みてきたのー?』って思ったけど、パライソ経て心覚な豊前くん。しんどいな…


二部
FREE STYLEで号泣。一部ニコニコしてたくせに

『未来の自分と推しに誇れる自分でいたい』
今の私には難しいけど、これを目標にしてて

だから歌詞の『夜空の星さえも 掴めると両手伸ばした 幼い自分に ずっと誇れる僕でありたい』

重なって、頑張ろうって思えた

一曲目の雰囲気と衣装大好き。曲もモダンで素敵

そして、浦島くんのお臍チラッがけしからん。あと日向くんのお膝。ありがとうございます

桶ダンスについて思うこと

ジャニーズについて疎い為、桶ダンスの存在についてほんの最近知った

と、その前にこれを書いている人について。

私の趣味はストリップ劇場に行くこと。今は感染リスクを考えて控えているものの、多い時は年に50回ほど通っていた。あまり自分からは使わないけど『スト女』と呼ばれる客層に入る。

ストリップ劇場で広がる舞台や演目を見るのは『女体の裸を見てる』…から楽しいわけではない。衣装を脱いだ先、演技よりも本物に近い表情。裸になれないと表現できない物語。私より年下の『おねぇさん』やベテランの『おねぇさん』、年齢も経験も体型も異なる人たちが『どんな姿でも私は綺麗』だと言わんばかりの、自信溢れるパフォーマンス。性をもって生の肯定…死にたいときに見ると生きていることを肯定してくれるようなステージ。魅力は書ききれない。


話を戻します。そんな私ですが偶然目にしたこちらに賛同しました↓
https://click.e.change.org/f/a/f7LbMqnXkOv5AMPhHTZlLg~~/AANj1QA~/RgRjOD0eP4SCAWh0dHBzOi8vd3d3LmNoYW5nZS5vcmcvcC_mu53msqLnp4DmmI4t5qG244OA44Oz44K544KE44KB44Gm44GP44Gg44GV44GELeOCuOODo-ODi-ODvOOCuuS6i-WLmeaJgOOBr-ahtuODgOODs-OCueOCkuW7g-atouOBly3mnKrmiJDlubTjga7kv53orbfjgavlj5bjgorntYTjgpPjgafjgY_jgaDjgZXjgYQ_Y3NfdGs9QW04TGQ2LTBtVXN6U1o3eVhtRUFBWGljeXl2TnlRRUFCRjhCdkFNTVJ2bXVKallObW9rOHJFaVpwOE0lM0QmdXRtX2NhbXBhaWduPTIxYzQ2YmRiODRiZTQ4N2RiMDE1MWQwYjhiYzYzZTM5JnV0bV9jb250ZW50PWluaXRpYWxfdjBfMl8wJnV0bV9tZWRpdW09ZW1haWwmdXRtX3NvdXJjZT1wZXRpdGlvbl9zaWduZXJfcmVjZWlwdF93ZWxjb21lJnV0bV90ZXJtPWNzVwNzcGNCCmFRHrhVYfVfEKZSGnNlY3JldC5lbXBpcmVAZG9jb21vLm5lLmpwWAQAAAA


すると『桶ダンスの件。自分はちょっとどうかと思いますね『女性が若い男の裸体を見る場』を規制に進めると、反発してストリップも規制しろ!って話に飛躍しそうで怖い』というDMが届きました

私は馬鹿なのでこの『どうかと思う』が解読できなくて💦

私が今回賛同したのは以下の理由だからです。

・ジャニーズJr.の登竜門のような扱いになっているので(ジャニーズ詳しくないので人気になっても行われている等、誤解あればすみません)、未成年もさせられている状況がまず問題である。
・ジャニーズのグループのコンセプトととして『成人した女性を対象に、成人した男性によるセクシーなグループ』で桶ダンスをするのなら、理解できる。

この二点が大きいです

それを伝えたところ、以下のようなDMが届きました

『未成年とかどうとか、正しいとか正しくないはあると思いますが、ストリップファンとしての話です。』→私がちょっとどうかの意味が分からないと言ったのに対してです。

『何かを規制すれば、規制された側からは不満が出ます。その場合、女性が男性の裸を見る機会を奪えば、一部の女性は男性が女性の裸を見る機会を奪う方にチカラを入れかねない。と言う事です。』

『ストリップが潰される恐れを犯してでも自ら舞台に立つ未成年の少年を守りたいのであれば仕方がないと思います。』

私は好きなものであろうと、盲目的に肯定したくありません。良さを知っているからこそ、色眼鏡を掛けすぎないように好きなジャンルが今置かれている現状と問題点を考えたいと常々思ってます。 
そのような考えもあるので、桶ダンスの反対に賛同しました。


ストリップ劇場行くの好きですし、これ以上劇場なくなってほしくありません。
でも未成年が無理矢理やらされる状況は変だし、一人の社会人として意見を言ったまでにすぎません。

そもそもストリップが好きか否かを差し置いても『未成年の未来を考えること』は、社会人として然るべきなのでは?と思います。例えそれにより、ストリップ劇場の規制に拍車が掛かろうと、社会人としては未成年の保護を優勢すべきだし、まして普段からストリップを楽しむ身であるならば、尚更。



桶ダンスについて既に上がってる『ストリップじゃん』というコメントには『本当はもっともっと素晴らしいんだよ!』と言いたいくらいには。
そうやって誤解を解きたいくらいにストリップが好きです。
でもそれとこれとは、別だと思います。おかしいと思うところに声を発するのは、ストリップ好き嫌い関係ないでしょう。


声を上げるのは勝手と言われたので、一人の人間として上げた次第です。

なお上述した通り、グループのコンセプトとして成人男性のみで行われていたのであれば、あくまでも私は、問題ないと思います。桶ダンス。

シアター上野ヲ思フ

 令和三年四月十六日、衝撃的なニュースが流れてきた。シアター上野のガサ入れだ。そして従業員と踊り子含む計六人を公然わいせつ容疑で逮捕したと、警視庁保安課から発表された。

 記事によると目的を『生活の為だった』と踊り子は述べている。この簡潔な言葉の揚げ足を敢えて取るならば、『生活の為に仕方なくやっていたのだろう!』となるのだが。風営法に基づいて届け出をして営業をしている箱で、自分の生活費を稼ぐための手段として選んだことに対しガサを入れるのは理不尽極まりない。

 昨今はメディアの露出が増えたせいか、今回の件でのコメントはファン以外でも擁護のものが多かった。また翌日には日本芸術労働協会が、ネット署名の検討に入るという興味深い動きが見られた。
 日本芸術労働協会がこの件を問題視した理由として『性表現の自由と規制、職業選択の自由などの労働問題等、芸術労働に関わるものと認識している』と述べている。
 業界関係者よりも先に芸術分野で素早い動きが見られたのは、ストリップというジャンルがただの風俗産業の枠に抑え込むべき存在ではないからだろう。
舞台上での本番行為が行われていたような時代ならいざ知らず。昨今のストリップはエンターテイメント性が高く、エロスに特化した表現の至高分野であることが知れ渡って来たからではないだろうか。

 ただしストリップの魅力として芸術性を強調すればするほどに、『表現として脱ぐ』ことにおいて下着を取る理由付けが必要になってしまうだろう。
 脚本展開的に必要性が生じた局部の露出―性行為の場面や、自慰の場面。―でない限り、ポーズを切っての局部の露出は、極論晒したことを強調していると言われても致し方ないだろう。
 似たような事例としてコロナウイルスが流行する中で、風営法を守り届け出をした風俗産業に給付金が支払われないのは、国として職業を差別していると宣言しているようなものだ。
 風営法を遵守しそれにそって営業している店に対し、有事の際の補償が降りなかったり摘発されたりするのは、国が定めた法律を国が守っていないので甚だ遺憾である。

 四月十七日付けの毎日新聞によると、『東京五輪を前に、盛り場対策に力を入れ、環境浄化を進めていきたい』としている。が、それこそ矛盾を声を大にして言っているようなものだ。

 このような背景には風俗産業=不純なもの。という考えが一般論として世間に浸透しているからだろう。先述した通り、職業は金を得る為の手段に過ぎない。その手段に対し(法に基づいていることが大前提である。)感情論で力が介入されてしまうのは、法治国家として大問題ではないだろうか。

『婦人議員は二言目には〟人権、人権〝というが、生活の為に余儀なく売春しているものを一方的に処罰するのは納得できない』これは昭和三十年七月七日、売春処罰法案を審議中の衆議院法務委員会に参考人として出席した、長崎県の現役売春婦の浜田八重子が述べた言葉だ。(1)同法案はその後否決となり、不成立で終わった。

 時代も状況も違うので言葉の全てを当てはめることはできないが、この言葉は今でも通ずるものがあるだろう。生活の為の労働は、どんな職種であり大概多くの人が行っていることだ。

 シアター上野という存在は上野の街を浄化するにあたり、捜査しなければいけない程の不純なものだったのか。その答えが否であること言える存在は、社会的に見たら少ないのが事実だ。

 時代に応じて流動的に変化を続けて、今日まで残ったストリップ劇場。今回の件を受けて業界的にどのように変わってゆくか、一ファンとして期待している。
 閉館宣言をしてから何度も生き返った、不死鳥・広島第一劇場のように。斜陽産業とされていても何度も返り咲いて、独自の魅力を確立させてほしい。

刀ミュを見にはじめて熊本行った思い出


4/3の夜公演のチケットが手に入り、はじめて刀ミュを現場で見れることになりました。
関東在住にしてはじめての現場が熊本。改めて振り替えると思いきったなぁと思います。

4/3からちょうど古今伝授の太刀も展示されていたので、フォロワーさんと日中はそちらを拝見しに行ったりもしました。

今回のミュのメンバーでは清麿くんが好きで、そのフォロワーさんは以前に麿さに本を作った時表紙を描いて下さった方だったのでご縁が嬉しかったです。

刀ミュを配信ではじめて見た時二つほど懸念が生まれました。
それは万が一現場で見た際に
①ペンラの切り替えに追い付かなそう。
②団扇を作ったらファンサを期待してしまい、病んでしまいそう。
でした。

その為今回は両者2つ共持たずに参加しましたが、すぐに拍手ができたので良かったです。(それらがないと楽しめない。そんな訳ではないとも分かったので)

はじめての現場は配信では伝わらない生物の迫力にすぐに呑まれました。『刀剣乱舞』が流れたら時の、腹の底に響くような迫力。そして配信では伝わりきれない、プロジェクションマッピングや照明の美しさ。


心覚は東京初日の配信を見た後気になったワードを調べてから、現場に臨みました。その為はじめて見たときよりすんなりと理解できました。

以外、ネタバレあります。


【心覚、感想】

・清麿「どんな子なのかな」
水心子「そこで頑張ってる子だと思う!」
・水心子「どうか嫌いにならないでほしい。この時代のこと。選択をした自分自身のこと」
・水心子「この時代に来たかっただろうし、来ることもできたかもしれない。それでも諦めたかもしれない。それでも僕は僕は尊重したい。君の決断を。」

山吹の少女=私たち大衆の概念とその個々、なのかしら。
・でも山吹の句を踏まえると、あの少女を私たちにするのは皮肉が効いてるな。
・水心子くんの『そこで頑張ってる子』に恥じないよう、次会える時まで一層頑張りたい。

太田道灌を通して江戸城築上

天海を通して江戸の町作り
(機能的かつ信仰を重んじた)

江戸城無血開城

その後の色々な歴史
(映像より)

それらの江戸から東京の変化と東京の歴史は、偉人や大きな出来事が関わっていることも多いけど、そこに住まう一般の人々が紡いできた想いによっても成り立っているなぁと。
・だからコロナ騒ぎで色々なことを諦めざるを得ない、断念された想い。改変されてしまった意思で構築された未来(あんなに頑張って過去を守ってきたのに)に悶々とする水心子くんがとても私たちに添ってくれているような気がして嬉しかった。

・城を造る思いの含まれる演劇を城下町で見れてよかった。その城に人は住んでないけど城下町は賑わっている。地震で崩れてしまった場所も(完全ではないけど)修復されている。城を通した民の想いは今でも変わらずにあるのだなぁと。

・地図を広げた時の三池と新々の身長差よ…

・二部の衣装変化『なんで脱ぐのぉぉぉぉ💢💢💢』だった。安心安全の水心子くんに救われた。みつよ、お前は駄目だ。ベルトの金具が光ってへそピに見えた。
・みつよのどっしりと構えるオーラが振るった刀も重いんだろうなって感じてよかった。
・二部はペンラも含めイルミネーション(?)は私たちの灯火。

魔女見習いを探して、感想

https://mimo-seret.hatenablog.com/entry/2020/08/19/151705


これの続きです。

本日、父と見てきました。
私は現在東京在住、父は群馬在住ですがこのような状況なので埼玉で落ち会い映画館へ。

予め記しますが、私は現在特別父と仲がいい方ではありません。寧ろ疎ましく思うことも度々ありそれが嫌で実家から離れました。


さて父は私が当時映画を見たかったことを、また連れていったら既に終わっていたことを全く覚えていませんでした。

けれど父自信が子供の頃に、父に(この場合私の祖父)野球に連れていってやると言ってくれたのに約束を果たしてもらえなかったこと。また年齢的にもう連れていくのは難しいことを踏まえ、お互いにいい歳なのにわざわざアニメを見に来てくれました。


映画の感想としては…

・好きな作品を通じて知り合い、仲良くなって一緒の建物で生活するとか理想のフォロワーマンション。

・『魔法使い』にはなれなくても、誰しも自分だけの魔法は持ってる

・中盤のハラハラ展開が落ち着いて結末。出来すぎと言ってしまえばそれまでのハピエンだけど、好きなホットドリンクを飲んで一息ついたような優しい雰囲気に包まれた。


【そして私個人的に】
・父は覚えてなかったけど、当時映画に連れてってくれる約束、やっと果たせて嬉しかった

あの日、ポスターを貰えたけれど、やはり本音としては『おとうさんに映画連れていってもらったの!楽しかったよ!』と家族に言いたかった。
それができず、いつまでも踞っていた私がようやく立ち上がれた。

・主人公たちが幼い姿でおじゃ魔女たちのドレス着てる場面あるんだけど、小さい頃おんぷちゃんのドレス着て結婚式に行き、そのあと入院してた母の病院に行った思い出があるから、フィクションと現実の交錯とその記憶にうるうるした。

・そしてこれは映画が始まる前のこと。時間潰しに入ったゲーセンで、父が『おんぷちゃん無いね』って言ってくれたのが、私が好きだったキャラを覚えていてくれて嬉しかった。



20年ぶりに父とおじゃ魔女の映画がようやく見れたこと。本丸に嬉しく、また長年の胸のつかえが取れた気がした。

おジャ魔女どれみの映画

おジャ魔女どれみ、20周年を記念した映画が11/13に公開されることになった。

私は現在25歳。バリバリの世代である。
当時好きだったおんぷちゃんの衣装を買ってもらい、髪をスプレーで紫にしてもらったり、旅先にはハナちゃんのお人形を連れていった記憶が朧気に残っている。

私にとってあのシリーズは特別な存在で、だからこそ20年の歳月を経て再び映画が公開される喜びに涙が止まらなかった。







2000年。ちょうど20年前にもおジャ魔女どれみの映画は公開された。あまりワガママを言わない私が映画を見たい!と熱烈に言っていた記憶がある。

当時は妹がまだ生まれたばかり、また実家が自営業ということもあり、両親は多忙だった。
それでも私がそのシリーズが好きなのを理解している、妹に世話が掛かりっぱなしの状況を踏まえ、父親が映画に行く時間を作ってくれたのだ。


意気揚々と近くの古い映画館まで歩いた夏の日。ひんやりとした館内に入り、受け付けのおねぇさんに『おジャ魔女どれみのチケットください!』と告げた。


が、返答は申し訳なさそうなおねぇさんの下がり眉と共に『ごめんね。もう終わっちゃったの』

あまりのショックにすぐ映画館に背を向けた。あんなに見たい見たい!って言って、ようやくこれたらもう終わっていて見れないなんて。だから早く連れてってよ!と両親が忙しい状況を分かりつつもその状況が憎かった。

余談だが、私の画像は皆で映画館に行くことがほぼなかった。だからまず映画館に行くというだけで、とてもワクワクしていたのだ。


話を戻すと、走り出した私は前に走る道路を渡る前にそこにしゃがみこんでいた。そこへ息を切らした父がやってきた。手に映画館で飾っていたポスターを手に持って。
『おねぇさんが終わっちゃってたからって、特別にくれたよ』と。
(※映画館はその後閉館して更地になっています。もう存在しない映画館で起きた20年も前のことですし、このスタッフの対応のについての批判は控えて下さい。)


私にとって大きなポスターは、父の手によって壁に飾られた。映画は見れなかったけど、父とお出かけできて自室にどれみちゃんたちが来て、嬉しくなったのを覚えている。



それからしばらく時は流れ、小学校高学年になった。ある日のこと、私の家で数人と課題をすることになった。そのメンバーは特に仲がよかった子たち、ではなく、課題を進める上で結成されたメンバーで私と男子2人の3人で構成されていた気がする。

その前日。自室を掃除しながらふと壁を見た。ずうっと張ったままだったおジャ魔女どれみのポスターが目に入った。
その時までおジャ魔女にハマっていた…から貼ってたのではなく、私にとって貼ってあるのが当たり前だったのだ。
ところが翌日クラスメイトが部屋に来る。流石に貼ってあるのは、からかわれたりするのではないか。そう考えた私は、ポスターを剥がした。
貼って貰ったときは届かなかった上の画鋲も自分で外すことができた。

そして剥がしたポスターは処分してしまった。
今思えば勿体ないことしたな、とは思う。でも小さな時に好きだったものとサヨナラする行程は、少し自分が大人になったような気がした。
その頃にはもうおんぷちゃんの衣装もハナちゃんのお人形も失っていたから、最後のモノを自分の意思で無くした。







私の中の『おジャ魔女どれみ』はそこで完結している。アニメ放送が終わった後の続番を見ても、心はときめかなかったから完結自体はもっと前かもしれない。けれど区切りとしてつけられたのがポスターを手放した時だった。




そうして現在。再びおジャ魔女どれみの映画が公開される。このおはなしはアニメの続きだったり、成長したどれみちゃんたちの映画ではない。当時おジャ魔女を見ていた3人が、どれみちゃんを通して引き合った奇跡のおはなしなのだ。


この点が、本当に嬉しかった。もちろん続編が公開されたとしても喜んだだろう。そして恐らくだけど、その方が製作も宣伝もしやすいと思う。
(『20年ぶりにスクリーンの中をおジャ魔女たちが飛ぶ!』と書けばいいのだから)



けれどもこの映画はそうではない。当時同じように見ていた世代の子が、それぞれの20年を歩み、当時夢中になったもので偶然繋がれるのだ。


言わば『おジャ魔女世代』の為の映画だ。


放送が終わり、どれみちゃんたちのようにランドセルを背負い小学校に入学すれば、がらりと環境が変わった。当時少し年上でお姉さんのように思えていたどれみちゃんたち。彼女たちに憧れていた感情は、変わった環境の中で学ぶことに消され、追い付いた喜びに気づくこともなかった。


そして中学高校大学就職と進むにつれ、たくさんの理不尽なことを目の当たりにする。『両親が多忙だったから映画館に来た時には上映が終わっていた』以上に。


そういえばどれみちゃんたちが魔女を目指したのは(正体を知ってしまったはさておき)きちんとした動機があったことが、とても良かった。
願いを叶えさせるために魔法を手にしたのではなく、願いを叶う為の行程の一つとして魔法が使えるようになった。なんて素敵なんだろう。


アニメを純粋に楽しんでいた頃と違い、環境が変わった先では悩むこともたくさんあった。そんなとき、かつてみていたどれみちゃんたちが魔法を使えるようになったように、同じように使えたらと、考えてしまう。悩みを解決するための手段として。


映画で世代の子たちが集まり、(同じように好きだったと、過去形になりながら人生を歩きながら)魔法玉を手にした。もう予告だけで泣いてしまう。



製作スタッフは、当時見ていた子たちを、その子たちが成長して今かあることを忘れないで居てくれたのだ。




映画の公開が楽しみだ。20年の歳月を越え、父とやっとおジャ魔女の映画を映画館で見れる。



おジャ魔女はここにいる。心のど真ん中』
この歌詞の意味がやっと分かった気がした。

女性の搾取について

私は身体の造りは女として生まれたが、ストリップ劇場にいくのが趣味である。

あらかじめ言っておくが、大島薫さん主催の男性が脱ぐ方は行ったことがない。
バーレスクには行ったことがある。

この場合必要ないとは思うが、性自認は中性(男とか女とかで枠組みできない)性対象としてはバイセクである。

なぜ必要ないかと思うのかは、一般的にどこかに出入りする場合、客の性対象や性自認は関係ない筈だからだ。
(あくまで一般的にと書いたのはゲイバー等例外があるので)



前置きはさておき、今回私が疑問に思ったことは『ストリップ劇場=女性搾取の場』なのか、ということである。

現在のショーの内容を知らず、誤解した認識の人が『搾取だ』『それを見る女も女を搾取している』と言うのである。
(前置きしたとおり私の性自認は女ではないが、肉体は女なのでここでは女として表記させて貰う)

ラディカルフェミニズムの人たちは『性産業が存在し、それを認める女がいることで搾取に取り込まれる、加担するな』と仰いますが…

果たして『現代の日本のストリップ劇場』において搾取される構図が成り立っているのでしょうか。

自らの意思で脱ぐことを表現の技法とし、それを元に作り上げた演目を金を払って観劇する。

この流れを一度も目にしないまま搾取だと言うのは、踊り子という職業や存在を侮辱していることにも繋がります。
自分の知らない世界を誤解するのは仕方ないし、理解をしようとするのも難しい。けれど誤った知識を改善しようとする意思がないまま、そして現状をしらないまま侮蔑する恥を知りなさい。


脱ぐだけでちやほやされるだけの世界ではありません。
どんなに踊りたくても、コースの都合上踊れない子もいます。
基本的にセルフプロデュースの世界。描きたいテーマを元に選曲し衣装を選び踊りの練習をする。
(これは人によって順番が異なるかもです)

スタジオは深夜の方が安いから公演後に行く、なんてザラです。そして地方を飛び回りつつ、心身の健康を維持する。好きだから、なんて一言では語り尽くせないほどの労力があります。

そしてその労力を知っているからこそ、ファンが存在するのです。
それは嫌々やらされてたら成り立ちません。
果たして本当に搾取と言えるのでしょうか。

またWikipediaの一部の記載だけでまるで現在もそのようなことをしていると思われている方も居ますが、そんなことはありません。



100歩譲って、『いかなる理由でも性産業に従事=女性の搾取』『それに加担する女も罪』と仰りたいのなら、渦中の踊り子は搾取される可哀想な存在なのでしょうか。

当事者の意思を無視して勝手にそのようなことを仰る方が、女性差別であり職業の差別をしていると思います。
既に何人かの踊り子から、否定の声が出ています。

そこまでしても搾取の構図だと思うのでしたら、一度足を運んでみてください。誤解だけで批判するのは愚かです。


さて、踊り子と客の関係はただのダンサーと客の関係。それだけです。

舞台上の姿に魅了され、憧れ、ファンになる。この流れはどの芸能や舞台とさほど変わらないと思います。
別にストリッパーと客の関係だから肉体関係を持てるわけではありません。
(ここで『かつては~』と昔の話を出すのは控えます。あくまで現在進行形の話です)

例えば好きで憧れの女優を見つけ、それに近づけるよう行動を変えるのと
例えばセクシーなアイドルの衣装やダンスを見て、『かっこいい!』と感じるのと

例えばサーカスのアクロバティックな技術に圧倒するのと

そして脱ぐという表現技法のストリッパーを見て、体型や年齢を問わない美しさと気高さに感動するのは

根本的な思考回路としては一緒ではないでしょうか。

そもそも論として特定の人物を『鑑賞』するのが搾取になるのなら、その他舞台観劇も搾取に当たると思います。



ストリップは肌を見せるので性風俗のくくりに入りますが、このように少々特異性がある芸能のジャンルです。

バレエや日舞、そして最近ではエアリアルシルクやポールダンスを得意とした子も数々います。そしてその得意なことと脱ぐことを掛け合わせて、自ら描きたい物語を作ってる世界です。

『そのような技術をしょせんストリップで生かさなくてもいい社会にしたい。』そう仰る方も居るかもしれません。けれどもそれは現在それを生業にしている人たちの存在は認められないのでしょうか。



劇場では公演が始まる前向に
『踊り子さんの衣装、手や足に触れないでください』
と言ったアナウンスがあります。

実に当たり前です。
この当たり前のことを守れない人が多いからではなく、当たり前を常連には再認識、そして初見の人には『触ってはいけない』と教えるためです。
劇場という小さな箱の中ですら当たり前のアナウンスを徹底しています。
(だから席の近くの人が翻った衣装に触れそうになったら避けてます)



が、日本って国そのものにこのアナウンスが必要でしょう?
痴漢はいつでも湧いてるし、そんな当たり前のことすら守れてない。
人の身体を勝手に触ったりしてはいけないのは、別に女が相手であること、また布で隠れているかの有無に関係ない。

『わぁ!筋肉すごぉい!触っていいですかぁ?』(返事待たずに手を伸ばす)

これだって日常に潜みがちだけどいけないことですよね?


また過激な(痛め付けたりする系。それがやらせか本人の意思かも含め)AV批判もあるけど、バラエティーで芸能人が身体張ってたロケをしているのが手軽に流れてくる環境の方が恐ろしいです。

お笑いでは誰かを貶すことを笑いとし、時には相方をツッコミで叩き、『でもそれは演出だから!』と笑い楽しめる環境がに居る中で『自分は搾取なんてしていない!』と言いきれますか?

私は昨今のメディア、バラエティーに耐えられないので見ていません。






さて、けれどもそこまで書いても『女性搾取のエンターテイメントなんて可哀想で不謹慎だ』と思う方へ。

ファンとしては認めたくないけど、所詮斜陽産業です。一年に一館のペースで実にさまざまな理由で劇場は閉館してます。
一度閉館したら開館は難しいし、新規の開館は無理です。
歴の長い中堅、ベテランさんも急に引退します。
(勿論告知して引退興行する場合もありますが、それは非常にラッキーな場合です)
デビューしてもまず一年続くかどうか。雨後の筍のように新人が現れては消えていきます。

そしてそれは戦後からの社会の情勢に敏感に影響された結果でもあります。多いときと比べ、劇場の数の桁数は0一つ分減りました。
その中でショーも変化し、それにより新たな層にも道は開けてます。
(ちょっと余談ですが作家の永井荷風はロック座に通ってましたし、そして当時の女性客の存在について踊り子と対談もしています。坂口安吾はストリップを罵倒すらしていたもののきちんと足を運んだ上で罵倒し『もっと女性客がいると思った』とすら言ってます。ですから昨今のサブカル文化に乗じてストリップに行く女性が増えたとは考えられません。)



つまりあなたがたが突っかかろうが、相応しくないなら消えていきますよ。喜ばしいてますね。正義の名の元、職場や仕事を消せる手助けができて。



その目でしかと確かめてから批判なさいな。足を運びたくないなら、せめて正しい史実を漁れ。書籍はあります。もちろん、面白可笑しく仕立て上げたものではない。どのような変遷で、今に至ったか。過去ときちんと向き合って記載されてます。

あ?どれ読めばいいか分からない?
ならば一冊、『万博とストリップ』をオススメします。





それでもなお、女性の地位は向上しないのに性産業は肯定する。と言うのなら、一言。


女性の地位向上と性産業の肯定は論点が違うだろが!
性産業に従事してる女性だけが、地位向上してるわけないだろ!




【補足】
・性産業だけじゃなく一般職においても『やりがい搾取』があるように、搾取構造そのものは変えていく必要がある。
・勿論性産業そのものに蔓延る搾取構造も無くしていく必要はある。
・が、今回は『ストリップ劇場における女体搾取の違和感』について記載した。ストリップが芸術か風俗か、また、他の性産業での搾取は割愛させてもらう。
・↑と、言うのも私はストリップ以外の性風俗についてあまり知識がないので(過去における風俗史はさておき、現在進行形で)風呂敷を広げず、絞って思いを書いた。


【補足の補足】
・そんな気持ち悪いものの為に金と時間と労力を使いたくない、と考えを放棄し持論で殴るなら
(せっかくこちらが分かりやすい文献を提示しても、読めだなんて傲慢だ、等)、あなたは本当の意味で弱者を救うことはできないでしょうね

・『知らないくせに批判するな』『見れば分かる』と言った言葉は意見交換の場に相応しくないので使用していませんでしたが、言いたくなりますね 笑


・その子の知り合いでも家族でもましてやファンですらない人が『オスを気持ちよくさせるため』『自傷行為に当たる』と指摘するのは、いったいその子の何を知った上でなのでしょうか。
『可哀想な子に指摘したワタシ♥️』って考えですか?

・女性搾取を辞めろと仰るなら、性産業の従事者を誤った認識で『酷いことされてる』『可哀想』と言い
そしてそれにいく女を『女が女を買うから男優位の社会だ。性産業の肯定は加担になる』と言うのなら

勝手に搾取されてるから辞めさせなきゃ!と走り持論で殴りかかるその根底に、彼女らを利用してやるって搾取が見えるわ。



【補足の補足の補足】

過去のことをなかったことにしたいのか!

そうではなく、今話してるのは現代の話。

過去の搾取を現代に重ねて話すのは論点がズレるので、引き合いに出すのは今は違うよねって話。



以上。