おジャ魔女どれみの映画

おジャ魔女どれみ、20周年を記念した映画が11/13に公開されることになった。

私は現在25歳。バリバリの世代である。
当時好きだったおんぷちゃんの衣装を買ってもらい、髪をスプレーで紫にしてもらったり、旅先にはハナちゃんのお人形を連れていった記憶が朧気に残っている。

私にとってあのシリーズは特別な存在で、だからこそ20年の歳月を経て再び映画が公開される喜びに涙が止まらなかった。







2000年。ちょうど20年前にもおジャ魔女どれみの映画は公開された。あまりワガママを言わない私が映画を見たい!と熱烈に言っていた記憶がある。

当時は妹がまだ生まれたばかり、また実家が自営業ということもあり、両親は多忙だった。
それでも私がそのシリーズが好きなのを理解している、妹に世話が掛かりっぱなしの状況を踏まえ、父親が映画に行く時間を作ってくれたのだ。


意気揚々と近くの古い映画館まで歩いた夏の日。ひんやりとした館内に入り、受け付けのおねぇさんに『おジャ魔女どれみのチケットください!』と告げた。


が、返答は申し訳なさそうなおねぇさんの下がり眉と共に『ごめんね。もう終わっちゃったの』

あまりのショックにすぐ映画館に背を向けた。あんなに見たい見たい!って言って、ようやくこれたらもう終わっていて見れないなんて。だから早く連れてってよ!と両親が忙しい状況を分かりつつもその状況が憎かった。

余談だが、私の画像は皆で映画館に行くことがほぼなかった。だからまず映画館に行くというだけで、とてもワクワクしていたのだ。


話を戻すと、走り出した私は前に走る道路を渡る前にそこにしゃがみこんでいた。そこへ息を切らした父がやってきた。手に映画館で飾っていたポスターを手に持って。
『おねぇさんが終わっちゃってたからって、特別にくれたよ』と。
(※映画館はその後閉館して更地になっています。もう存在しない映画館で起きた20年も前のことですし、このスタッフの対応のについての批判は控えて下さい。)


私にとって大きなポスターは、父の手によって壁に飾られた。映画は見れなかったけど、父とお出かけできて自室にどれみちゃんたちが来て、嬉しくなったのを覚えている。



それからしばらく時は流れ、小学校高学年になった。ある日のこと、私の家で数人と課題をすることになった。そのメンバーは特に仲がよかった子たち、ではなく、課題を進める上で結成されたメンバーで私と男子2人の3人で構成されていた気がする。

その前日。自室を掃除しながらふと壁を見た。ずうっと張ったままだったおジャ魔女どれみのポスターが目に入った。
その時までおジャ魔女にハマっていた…から貼ってたのではなく、私にとって貼ってあるのが当たり前だったのだ。
ところが翌日クラスメイトが部屋に来る。流石に貼ってあるのは、からかわれたりするのではないか。そう考えた私は、ポスターを剥がした。
貼って貰ったときは届かなかった上の画鋲も自分で外すことができた。

そして剥がしたポスターは処分してしまった。
今思えば勿体ないことしたな、とは思う。でも小さな時に好きだったものとサヨナラする行程は、少し自分が大人になったような気がした。
その頃にはもうおんぷちゃんの衣装もハナちゃんのお人形も失っていたから、最後のモノを自分の意思で無くした。







私の中の『おジャ魔女どれみ』はそこで完結している。アニメ放送が終わった後の続番を見ても、心はときめかなかったから完結自体はもっと前かもしれない。けれど区切りとしてつけられたのがポスターを手放した時だった。




そうして現在。再びおジャ魔女どれみの映画が公開される。このおはなしはアニメの続きだったり、成長したどれみちゃんたちの映画ではない。当時おジャ魔女を見ていた3人が、どれみちゃんを通して引き合った奇跡のおはなしなのだ。


この点が、本当に嬉しかった。もちろん続編が公開されたとしても喜んだだろう。そして恐らくだけど、その方が製作も宣伝もしやすいと思う。
(『20年ぶりにスクリーンの中をおジャ魔女たちが飛ぶ!』と書けばいいのだから)



けれどもこの映画はそうではない。当時同じように見ていた世代の子が、それぞれの20年を歩み、当時夢中になったもので偶然繋がれるのだ。


言わば『おジャ魔女世代』の為の映画だ。


放送が終わり、どれみちゃんたちのようにランドセルを背負い小学校に入学すれば、がらりと環境が変わった。当時少し年上でお姉さんのように思えていたどれみちゃんたち。彼女たちに憧れていた感情は、変わった環境の中で学ぶことに消され、追い付いた喜びに気づくこともなかった。


そして中学高校大学就職と進むにつれ、たくさんの理不尽なことを目の当たりにする。『両親が多忙だったから映画館に来た時には上映が終わっていた』以上に。


そういえばどれみちゃんたちが魔女を目指したのは(正体を知ってしまったはさておき)きちんとした動機があったことが、とても良かった。
願いを叶えさせるために魔法を手にしたのではなく、願いを叶う為の行程の一つとして魔法が使えるようになった。なんて素敵なんだろう。


アニメを純粋に楽しんでいた頃と違い、環境が変わった先では悩むこともたくさんあった。そんなとき、かつてみていたどれみちゃんたちが魔法を使えるようになったように、同じように使えたらと、考えてしまう。悩みを解決するための手段として。


映画で世代の子たちが集まり、(同じように好きだったと、過去形になりながら人生を歩きながら)魔法玉を手にした。もう予告だけで泣いてしまう。



製作スタッフは、当時見ていた子たちを、その子たちが成長して今かあることを忘れないで居てくれたのだ。




映画の公開が楽しみだ。20年の歳月を越え、父とやっとおジャ魔女の映画を映画館で見れる。



おジャ魔女はここにいる。心のど真ん中』
この歌詞の意味がやっと分かった気がした。